表現系サークルの検閲と自由

私の所属している映画制作サークルの活動についてちょっと文句があるのでここに記します。

我が部の外に向けての活動は大きく分けて2つ。まず、年2回の自主制作映画の上映会。そして、昨年から新しく始めた年1回の部誌の発行。問題はその部誌で起こりました。

部誌の発行活動は昨年から始まったまだ歴史の浅いものです。作りとしては、特集記事・座談会・テーマ自由記事、という感じで全部員が自由参加で自由に記事を書いて投稿するという形式を採っております。

実はこの部誌の発行をやり始めたのは私でして、今回については下の世代に任せることにしたのですが、まあ影の監督者みたいに勝手に振る舞っていたわけです。で、編集作業も佳境という頃に先輩ぶって部誌の様子について編集委員の一人に尋ねたのです。すると、とある記事の内容が不適切であったため、ボツにするつもりだという話を聞かされました。

どれどれと思ってそれを読んで見ると、戦争論についての記事でネトウヨっぽい内容を含んでおりました (まあテーマは自由だから映画に関係なくてもいいのです。ちなみに私は電波ソングについて書きました→ http://d.hatena.ne.jp/talyun/20100610/1276132014 ) 。それが一部の人々の感情を傷つける可能性があり、そのため掲載を取りやめた、というのが編集委員会の主張だそうです。

「部」の名前を使って出版するわけですから、その記事の責任は個人ではなく部が背負うことになります。苦情の電話が来て廃部になってはもとも子もありませんので、まあ検閲も仕方ないのかもしれません。しかし、記事募集を呼び掛けるときは「自由」を謳っておきながら、実際は検閲が行われてしまってなんじゃそりゃ、と思った次第です。

これが今回起こったことです。部誌の発行が問題となりましたが、これは映画サークルで起こったこと。部誌の記事執筆だけではなく映画制作も十分射程内です(原稿執筆も映画製作も一人からできます)。問題は部誌内にはとどまらず、部の活動全体に波及します。

まあ、部内の表現活動が委縮しちゃう、とかいろいろ影響はあるかもしらんけど一旦置いといて。

私は表現規制反対運動とかちょっとコミットしてたのでその経験から疑問なのですが、やっぱり検閲は恐ろしいです。この件は大学の一サークル内の問題なので生きる死ぬにはもちろん関係ない「お遊び」なのですが、自由ってのは重要です。大学のサークルにおいて自由がなくなりゃ楽しいはずがありません。楽しくなきゃ衰退の一途です。学生ってのはそんなもんです。一応4年も在籍した部ですから愛着はありますので、やっぱり今後も楽しい部として繁栄していただきたい。そのためには多少の検閲も必要なのかもしれません。ひとりひとりが好き勝手やっていては時に歯止めがきかなくなり、問題起こして廃部みたいな話もありえますし。

自由と検閲。一見相反するようですが根は同じなのです。全ては「楽しさ」のためにあります。表現で飯を食うわけじゃないのでこれでいいんです。

で、今回まずかったのは、というか今後の部の運営上の問題として提起したいのは、検閲するなら明確な基準を設けなきゃだめだろ、ってことです。全部自由にしろとは言いません。検閲は時には必要です。だけど、「作ってみたらボツられた」では苦労が水の泡です。面白くありません(今回は編集委員会が執筆者に相談し、納得してもらった上で掲載を見送ったという話も聞いてはいますが、それは面白くないことを納得しただけです。ただ納得してもらえればいいという問題ではないのです)。

ですから、検閲をするならするで始めにガイドラインを作るべきだったのです。ガイドラインの作成には過去の事例との照らし合わせや、民主主義的合意の過程を踏まねばならず、ものっすごい面倒ですが、部を楽むための検閲をするためにはこれは必須なのです。これがない検閲はまったく楽しくありません。恐怖政治です。

しかし一方で、「各々の良心に任せる」ってな検閲ガイドラインもアリっちゃアリだと思います。実際今までこれで動いてきたようなものですから。文句を言われても歴史を盾にしちゃえばいいわけです。
あと、本当に抗議がくるのかというのも疑問です。前号の部誌なんてエロマンガから図表を引用しましたし、前々号はフィギュアのパンツを撮影した図表を掲載しましたが、誰にも怒られませんでした。制作した映画の内容で怒られたなんてことも聞いたことないです。第一、大学のサークルの表現物なんて、本気になって文句をつけるという労力を払う価値なんてないのです、学生ですから。自意識過剰すぎます。

複雑で面倒な協議を経て検閲ガイドラインを作るか、それとも各々の判断に任せるだけの懐の深さを持つか、楽しい部にするにはどちらかしか選べません。その覚悟がいま必要なのです。それが部を楽しむための義務なのです。


とかなんとかここで書いても部は動きそうもないので、私がいっちょう「天皇をレイプする映画」をフィギュアで撮影して上映会に提出しようかなと思います。問題提起は映画の使い方としては至極正しいでしょう。



関連:「『表現系サークルの検閲と自由』 事例」-Togetter- http://togetter.com/li/20299