過去のマンガ社会問題のだいたいのまとめ

竹内オサム「マンガの差別・発禁・規制等“事件史”」、コミック表現を守る会編、『誌外戦』、創出版、1993 を参考にマンガの社会問題のだいたいのまとめ。

誌外戦―コミック規制をめぐるバトルロイヤル

誌外戦―コミック規制をめぐるバトルロイヤル


1938年 児童読物改善に関する指示要綱

 前年の日中戦争を受け、戦時体制として言論統制が敷かれていく。マンガを始めとする児童文化も例外ではない。

  • 38年2月「紙芝居検閲制度」
  • 同年10月「児童読物改善に関する指示要綱」

 特にマンガへの風当たり強し。
 「卑猥俗悪ナル漫画」が廃止事項に。また、描かれるマンガそのものの量、特に長編マンガの量を減らせ、とのお達し。

  • 38年11月「日本児童絵本出版協会」創設
  • 39年  「日本児童漫画家協会」作られる 

 業者・編集者・作家の組織化。
 座談会を開き、啓蒙と研究に努める。>第1回では統制後のマンガの質の変化など。>「マンガのばかばかしさ・ナンセンス性を認めるべき」→「『のらくろ』を始めとする統制後のマンガはよくなった」

  • 41年『のらくろ』も軍部の干渉で連載中止<内務省の役人から「この戦時中に漫画などというふざけたものは掲載を許さん」というクレーム


1949年 敗戦直後の赤本漫画非難

 1947年の手塚治虫酒井七馬と組んだ『新宝島』の大ヒット以降、赤本漫画(零細業者による正規の出版ルートにのらないマンガ本。今で言う同人誌?)のブームが訪れる。
 戦後間もないため、中央の出版社がまだ体勢を整えていなかった。その隙間を縫って。

「漫画本を通じて子供が無意識のうちに犯罪の手口を覚え込む」
「赤本は万引きの対象になりやすく、少年を犯罪に走らせる」
「赤本のおかげで真っ当な児童漫画が白眼視されるのは遺憾」

 と批判される。


1955年 悪書追放運動

 戦後になって児童雑誌に占めるマンガの量が増える。特に、1953年に急増。漫画家も粗製乱造。彼らの生み出した粗雑な作品を標的にマンガ全体への批判がおこる。
 「日本子どもを守る会」「母の会連合会」および、各地のPTAなどが主体。
 内容の荒唐無稽さ、刺激的な暴力場面、エロ・グロのどぎつい表現、乱暴な言葉の使用、を問題点とした。
 
 多くの児童文学者や教育家も非難の側にまわり、魔女狩りの様相を呈してくる。
 55年9月に児童雑誌編集者側は「日本児童雑誌編集会」を結成、機関紙「鋭角」を発行して事態に対応。>批判者を交えて話し合いの会を催し、その模様を掲載。>新聞が故意にセンセーショナルに広めていったことが明らかに。

 1955年の悪書追放運動の直接的な所産としては、北海道(1955年)、福岡県(1956年)、大阪府(1956年)に青少年保護育成条例が制定され、有害図書が規制された。(なお、北海道に先行しては、岡山県(1950年)、和歌山県(1951年)、香川県(1952年)、神奈川県(1955年)に青少年保護育成条例が制定されていた。)(wikipedia
 
 文部省はこれに乗じて青少年の読書指導という名目で、図書選定制度の導入を図ろうとするが、批判者側も編集者側もこの動きに反対。

 日本雑誌協会日本書籍協会は、自ら「出版倫理要領」を作成し、自主規制に乗り出す。


1959年 貸本劇画の残酷描写

 白土三平の『忍者武芸帳』が刊行された50年代末、貸本制度そのものや劇画表現に世論の風当たりが強くなる。
 
 貸本は多くの読者の手に渡ることから衛生面が非難の的に。>全国貸本組合連合会は国会図書館を訪問、厚生省公衆衛生局に指導を仰ぐなどして対応。

 善悪を無視した劇画が増えていることに警告する山梨読書普及組合。
 「麻薬や殺人の描写が多い」
 マンガ本の仕入れごとにチェックをして悪質な作品を県内から締め出すことに。

 『忍術武芸帳』も、首が飛ぶ、血しぶきが舞い上がるその迫力に大人までもが驚いた。>「今日ではまったく問題にはならないことだろうが……。」と竹内オサム(93年当時)。


1968年 「あかつき戦闘隊大懸賞」問題

 当時「週刊少年サンデー」連載されていた『あかつき戦闘隊』これに関連して、同誌68年3月24日号では「あかつき戦闘隊大懸賞」を大募集、その賞品に戦記マンガに関わる品々をかかげた。日本海軍学校制服・制帽・短剣・刀帯セット、など。
 児童文学者たちは、「まるで戦争中の少年雑誌のようだ」と反発。
 要請書を提出。>「幼少年の健全な心情の発達の上に好ましくない影響は、決して少なくない」>軍国調。
 日本子供を守る会も加わって小学館に抗議。

 小学館側は、「賞品は歴史的資料」「戦記ものは子どもの喜ぶものだから」と応答。
 社長も出席し会談がもたれ、問題の処理は長期化。


1970年 「ハレンチ学園」騒動

 「スカートめくりを始めとする性の遊戯化」
 「ヒゲゴジラを権力と性の亡者として描く教師批判の態度」
 以上の2点で大人から非難を浴びる。

 『毎日新聞』、『週刊新潮』、『週刊文春』、NHKの報道番組でも取り上げられる。
 県の青少年保護審議会と青少年育成県民議会は連名で少年画報社集英社へ「俗悪本を発行しないよう」要望書を送る。校長会やPTAや婦人会にも追放協力を呼びかけ。


1973年 60年代から70年代の劇画論争

 60年代後半『ガロ』などの雑誌を拠点にマスコミの表舞台に躍り出た劇画は“良識”ある大人にその是非を問われる。
 「あんなの○×方式幼児指向だ 見るのもバカバカしい」らしい。>議論が始まるが、たがいの好みと感性を露呈し合うのみ。単なる時代の世代の断層。


1978年 エロ劇画誌発禁処分

 70年代後半はエロ劇画ブーム。自販機を中心とした“三流劇画”が勢いを持っていた。性表現も自然とエスカレート。

  • 78年11月6日 新潮社の『漫画エロジェニカ』(書店でも売ってた)が猥褻として摘発。
  • 79年2月   笠倉出版の『別冊ユートピア・唇の誘惑』が摘発を受ける。

「猥褻是か非か、でもなければ猥褻何故悪いでもない。俺たちは、それを売り物にしている猥褻屋なのだ」<『劇画アリス』編集長亀和田武


1989年 黒人差別表現問題

 『ちびくろサンボ』の絶版の流れから、マンガにおいても黒人差別表現だとして様々な作品がやり玉にされる。
 運動の主体は「黒人差別をなくす会」。



 とりあえず以上。本当に自分のいいようにまとめただけ。
 今後はいくつかの事件について個別に調べていく予定。
 私の関心は、事件の結果として出版社側および作者側がどのような対応をとったかという点。